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2013年10月 1日 (火)

慌ただしかった10日間(父の死亡編)

 と、云う訳で気付けば10日連続休暇(実質休暇だったのは5日間だけですが、休みは10連休)と云う近年稀に見る休みを取った
 お陰で仕事、休暇前にナニやってたか殆ど覚えとらんわwww

 まぁその辺りのレポを少々…

 この話は連休前に始まっていた
 私の誕生日に合わせて警察から免許更新ハガキが送られて来ていた
 で、入試だナンだと慌ただしい職場を尻目に9月末の3日間(26日~30日)の夏季休暇を申請していた
 9月27日が秋の修了式(10月入学の学生の卒業式に当たるモノ)ではあったのだが、取り敢えず伺いを立てたら通ったのでそのまま休む事に…いやぁ、勤めて昼行燈に徹していたので、この辺の成果かと…努力は惜しまないモンだwww

 で、連休前の18日、普通に仕事していた訳だが、昼のメールチェックで実兄から新着が…
 どうした事かと思えば、父が緊急入院したとの事

 父は10年前に食道癌を患い、入院・手術を経て一応完治したがその後の経過確認中に結核を患い、更に完治したがこの辺りの闘病生活と老衰の為(しかし、ウチは年が上の母の方は身体的にはまだ健康…って云って良いよな? 自立歩行してるし、家事だってこなしている 軟弱な父だ)に心肺機能が衰弱しており、今年頭からだったろうか、酸素吸入器を付けての生活をしていた
 で、当の18日だが、母の介護を受けて朝飯時には一応食卓に付く筈の父が来ない
 私は出勤時間があるので、その辺は無視して家を出たのだが、その時に介護付きでも自立歩行が不可能な程、体力が落ちていたそうだ
 で、掛かり付け医に電話相談した所、癌・結核と世話になった順天堂大附属病院に連絡してくれるので行った方が良いと助言され、救急搬送されたそうだ
 まぁその時は栄養剤等の投与で復旧し、まぁ一安心…との事だったので普通に仕事をして帰宅した

 19日は私の通院(糖尿病…で、まぁコッチは可も不可も無くHBA1cは6.2と、また0.1程上がったが8月の脱水症状の影響も残ってるだろうと現状維持の診断がされた)をしたのだが、その間に母と兄は順天堂に出向いていた
 まぁその時の話は「ソロソロ不味いかな…場合によってはコレが最後の入院で、退院する事は無いかもね」ってな内容だったらしい
 私は過去の悶着(って程の事でも無かったが…この辺は実際に会える人に話す機会が有れば…って、他人の親子関係を知りたい人もそう居ないとも思うがwww)があり、父の生死には然して興味を持っていなかったので「ふ~ん、そう」程度の反応だったのだが

 で、20日…やはり仕事に出て、毎週金曜のお楽しみ、夕飯を外で…と云う事で板橋のバッタもん(俳優:佐々木剛氏の居酒屋、過去のブログ記事の通り、最近は2週に1回は此処に来ている)でクダ撒いてた訳だが、実兄から連絡が有った
 曰く「病院から呼び出しが有った、適当に切り上げて帰れ」との事、まぁ兄貴からの呼び出しなら応じない訳にもいかん、会計を済ませて帰宅した
 内容としては「夜中等の連絡の取り辛いタイミングで容態が悪化した際、生命維持装置を使うかの家族意思を決めといて」ってな事だったらしい
 私は上記の通り父の生死に頓着してないので、判断は母・兄に丸投げ(まぁ『私が決めろ』と云われたら『生命維持の必要無し』と決める積りだが、そうでなければ決定には従う、と進言)した

 さて、明けて21日…結局、母・兄はマスク型の酸素吸入(平時に付けるモノより本格的な)は付けるが、肺まで管を通しての強制延命は不要との結論を付け、報告した
 私はかねてよりの懸念であった映画鑑賞(ジェリーフィッシュ(R-18映画だが、文学賞小説原作)と云う、最近は此方も懇意にしている仮面ライダーBlack、倉田てつを氏の御子息、柿本光太郎氏の出演作品)の為に六本木まで出ていた
 その間に母・兄は病院に家族決定を伝えた様だ…本来『21日は見舞いに行かない』旨、父には行っていた筈の母が病院に来たので、父は少々不思議がったらしいが、特に問題は無い
 さて、夕食直後に病院から連絡が有った…容態が若干悪くなったらしい、病院から連絡があった
 その際に家族意思とは別に本人意思確認をしたら『マスク型も要らん』と返されたそうで、医者として対応に困るから、家族と本人で話してくれとの事
 話を聞く必要も有ったので、今度は私も含めて3人で病院に行き、話を聞いた上で父を説得する事になった
 来院すると、容態は若干改善したので緊急では無くなったとの事だが、やはり本人と家族の意思が食い違うと面倒との事、そりゃそうだ
 普段から父に左程の興味を持って無い素振りの私も居ると話が拗れる可能性が有ったので、母のみが説得し、父の了解も得たと云う事で帰った
 帰宅後、まったりしていた訳だが、また病院から連絡があり容態急変との事、医者も頑張るが間に合わんかも知れん…と云う連絡だったので兄貴の自動車で再度順天堂に…いやぁ飛ばす飛ばすwww
 助手席で少々怖かったのだが、まぁ着いた
 が、一歩間に合わず、到着3分前程度に心肺停止となったそうだ
 時間にして23時頃(つまり、心肺停止は22時57分前後)で、家族立会の元、死亡確認をすると云うので、父の親友達(上記、父危篤の連絡を受け、夜中にも拘わらず連絡した所、病院に来てくれるという…父には過ぎた人達である)を待って確認して欲しいと願い出ると、了承されたので、取り敢えず待った
 で、親友達の来院を確認後、23時30分、死亡確認され、法的に死亡した事になった

 さて、その後は父の親友が町内会の顔役だった事もあり、葬儀屋に伝手があるとの事で、連絡を取って貰う
 話はトントン拍子に進み、24日通夜・25日葬式が決定する
 その後、病院から剖検(病院での自然死なので解剖の必要は無いのだが、死因の更に深い確認と厚生省への届け出の為の解剖)の相談が来るが、既に上記の通り告別までの日程が確定したので却下された

 既に帰宅時には22日になっていたが、一寝入りして親戚一同に連絡(基本的に兄がやった…実の所、叔父(父のすぐ下の弟)と従弟(父の末弟の二男)の葬式の際の悶着と、祖母の生前の活躍等(笑)も有り、ウチは松崎本家(父が長男、上に姉が居るが既に他家に嫁いでいる)の割に親戚中と仲が悪いwww 故に、父の訃報も特に慌てる事無く伝わった)、葬儀屋との詳細設定等で過ごす
 朝一番で父を病院から斎場の霊安所に移送する際の立会も兄がやったのだが、本当に兄には色々任せて申し訳ない

 23日はマルっと空いた…3連休初日に死ぬモンだからどっか出掛けるのも世間体が悪いし…困ったモンだ
 取り敢えず、寝たwww

 24日…コレが忙しかった
 午後一番に葬儀屋が死亡届を区役所に提出し、火葬許可を取るとの事なので、その前にする事が満載…
 死亡が確認されると、本人名義の預金・貯金の口座が凍結される
 すると、葬儀屋への支払が出来なくなる…と云う事で、先ず郵便貯金の解約を午前中に完了する必要がある

 私は私で職場に父の訃報・香典の辞退等を伝え、間違い等のない様にメールでの確認作業があるが、その合間に郵便局である
 取り敢えず、死亡届前に父から委任を受けた形で解約するのが間違いが少ないとの事で委任状を作成した所、委任された人間の氏名も委任する者が書く必要があるとの事、既に死んでる父から再度委任状は取れんので正直に話すと遺産扱いになるから云々と面倒な説明が始まる
 葬儀費用の為と云うとソレ用の特例措置に切り替わったが、ソレでも死亡診断書の写しを持って来いの戸籍謄本を持ってこいの…必要書類は纏めて云え、と兄が切れる始末…まぁ仕方ないがな

 で、結局、書類前に現金が揃ったとの事で先に受領して、別の信用金庫に有る預金口座の解約にも…
 此方は取り敢えずカードで下せる上限額まで下ろして残りは後日で間に合う計算になったので、ソコまでで午前中終了
 昼食を取ってひと段落つけた所で斎場に行って通夜の準備、通夜の法事の後、弔問客のお清め(宴会)の世話、自分の食事と済ませて帰宅したのが21時過ぎだろうか

 明けて25日は午前に葬式だったので9時前に出発、葬式・初七日法要・火葬と済ませて骨を骨壷に入れてから昼食(弔問客を含めての弁当昼食)、帰宅後は自宅に葬儀屋が来て祭壇を作成、骨壷を置いての焼香台が出来る
 後は49日に法事と納骨をして終了である
 父もそうだがウチは全般的に然して信心深くは無いので、49日後は1周忌・3回忌・13回忌等はやらずに済ます可能性も高い
(1周忌や新盆は軽く墓参りで終わらすとは聞いた)
 まぁ盆の時期は私も忙しいし、ソレで良いと思う

 さて、21日前~25日までの前半で良い字数になったので、以降の話は次回(父の話は此処までである…26日以降は若干会話中に出るかも知れんが、完全に別の話をする)
 来週まで待たずに更新する可能性も有るが…どうなるかなww
 ソレまで皆様、御多幸を^^

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コメント

お疲れ様でした。御尊父様の逝去の報に接し、謹んでお悔やみ申しあげます。
私も父が亡くなった時はとにかく慌ただしくて、あれこれ考えることも出来なかったです。葬儀関係は私が喪主だったので最低限のコトをこなして、母の遺族年金の確保に奔走し、ととにかくもうグルグルでした。
とにかく人が亡くなるって大変なコトなんだなとε-( ̄ヘ ̄)

投稿: いぶき | 2013年10月 2日 (水) 19時43分

Shot>いぶき さん
 コメント感謝します
 私には然してダメージ来てないので、今後も普通のノリでお付き合い願います^^

 まぁねぇ…同居家族の死去は2人目(20年少々前に祖母を…血縁では他に叔父と従弟の葬儀も経験してますが、普段会わない人達でしたので、あまり変化は感じませんでした)ですが、火葬場→骨拾いまで経験したのは初めて(上記の祖母は検体希望を出していたので、火葬場に行かず、葬式後には大学病院に移送されました…数年後に骨になって返却され、納骨されましたが…その辺も『親戚とのイザコザ』の一部になってます)で、新鮮な経験だった気がします

 さて、一部には『通夜・葬式で遺族がやる事が多いのは、態と忙しくして死者を悼んで落ち込む暇を与えない為』と云う説も有るのだそうで、本当に忙しかったですねwww
 形式上、喪主は母でしたが、親戚その他への連絡、葬式の時の挨拶や葬儀社との交渉事等の殆どを兄がやりました
 次男坊の気安さとでも云えば良いか、私は兄から『ナニやってくれ』と云われた事だけをしてれば良かったので、かなり楽が出来ました
 母や兄と違い、本文に若干書きましたが父の生死は基本興味持って無かったので、夜もグッスリ眠りましたしwww
 逆に、その分、兄に面倒事を全部押し付けた形になったのが少々罪悪感ですが、この辺りについては窓口を分割すると却って混乱するのが目に見えていた事もあり、敢えて手を出しませんでした
(死亡日の3日後に通夜って…まぁ速い家は翌日に通夜とか云う所も有るのでしょうが、余程余裕が無いと出来ないだろぉなぁ…と、思う位忙しい感じでしたし)
 今は相続関係の整理を追々やって行く算段で、切羽詰まったモノはなくなったと思います
 本当に、死ぬ人間は後の事考えなくて良いのですが、残された人間は苦労するモンですねぇ…
 彼岸の中日とか、ナンの嫌がらせだ、と…自分が死ぬ時は出来るだけタイミングを計りたいモノですww

投稿: 毘沙門天松茸 | 2013年10月 3日 (木) 12時04分

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