漫画『かんなぎ』を発端にした『処女性』について
始めに、今回のネタは、かなり性的な表現や下世話な話になるかと思うので、最初に云っておきます
その手の話が嫌いな人間は見ないで下さい…論拠その他の間違い等指摘は受けますが、話題に対する嫌悪感等の意見は却下します
既にアニメになってメジャー化した作品『かんなぎ』
この作品の原作漫画が無期限休載と云う事で、更に話題になっている
この辺り、既に私は出遅れており、ニュースソースとしてはこんなのが有り、当該カットの解説で見付けたのはこんなブログである
さて、取り敢えず突っ込み所は満載であるが…根幹に有る『処女性』と云うものに付いて少々
昔、漫画だったか小説だったかで読んだ台詞に「男は『最初の男』になる事を求め、女は『最後の女』である事を求める」旨のモノが有ったと思う
(某マイミクのコメントには別の云い回しで書いたが、此方が正しかったかな…)
所謂肉体関係に付いての話だが、最初の男…つまり男は処女を求める、と、云う事だが、生存本能と自分の遺伝子を後世に残す為の本能…と云う事で説明出来るそうだ
人間は女性が受精・着床(所謂『妊娠』)をすると、排卵(生理)が止まり、出産・堕胎までソレが再開する事は無い
(併せて云えば、悪い形で堕胎すれば再度の妊娠が難しくなり、最悪は妊娠不可能になる事が考えられる)
そして、受精は『早い者勝ち』であり、既に受精してしまった卵子に他の男性の精子が来ても入れ替わる事無く、最初に受け入れた精子の受精卵を出産しようとする
(当然、次の排卵は止まっているので、出産・堕胎までその女性が別の男性の遺伝子を受け入れる事は無い)
詰まり、女性が妊娠出来る機会と云うのはかなり限定され、しかも『他の男性遺伝子を未だ受け入れて無い女性なら、自分の遺伝子を残せる公算が高い』と云う事である
逆に女性側の理論としては、自分の遺伝子を残す為には、受精するまで男性の遺伝子(精子)を受け入れ続ける事が重要で、自分が妊娠するまで遺伝子を送り続ける男性が必要である…と云う事で、その男性が常に自分を相手にする…『最後の女』で有り続けようとする、と云う事らしい
まぁ生物としての本能に根付いた話なので、この辺りは納得出来る
ただ、コレが日本の民族・風俗的に云うと上記は当て嵌まらないと云う話しも良く聞く
日本民族は古来、性に関してはかなり大らかだった記録が残っており、奈良・平安の所謂『貴族』の時代は男性が女性の家に夜這いに行く『通い婚』が常識で、三夜連続で夜這われた後に行う『露顕(ところあらわし)』と呼ばれる宴会(まぁ披露宴?)を以って結婚が周知される手筈になっていた
つまり、この宴前は複数の男性が通って来る事も有り、女性が男性を選ぶ事も出来た訳だ
(まぁ貴族の世界では位の上下でモノを見る事も有ったろうから、『好きな異性』を選ぶと云う事が有ったかどうかは知らんが)
更に江戸時代の特に江戸では男女比率は極端に男性が多い状態であり、吉原の花魁(大阪方面では太夫)等、遊郭でも位の高い女性は神聖視されており、維新前後の西洋思想が入るまでは『処女である事』が重要視された記録が殆ど無いのが事実らしい
(下手すると、結婚適齢期を過ぎても処女である事は却って欠陥が有るのではないか疑われたと云う事実も有るらしい)
さて、此処まで書いたが、冒頭の漫画『かんなぎ』の話に戻るか…
主人公:御厨仁はヒロイン『ナギ』の想い人が自分では無いかと夢想するが、事実は異なり、ナギには以前に恋人が居り、深い関係にもなっていたし今でも想い続けている…と、読み取れる描写が有る…らしい(上記のリンクでもソコまでハッキリ読み取れない私はorz)
つまり、ナギは処女ではなかった…と云う事に対する拒絶反応を起こした一部の戯けモノがNetで拒絶反応やコミックスの破損廃棄を表明、原作者に対して極度に破損させたコミックスの残骸を送り付ける等の嫌がらせを行ったゆえの体調不良(精神的なものも含む)が今回の無期限休載に繋がったのでは無いか…と云う記事だが、この戯けドモはナニを求めているのか判らんのが怖い
友人がmixi日記にも書いているが『作品が嫌になったら、さっさとその作品を忘れて仕舞えば良い』のであって、原作者に嫌がらせをする意味が判らない
原作者が苦しむ事で『俺の純情を弄んだ罪を味わうが良い』とでも思っているのか、不特定に対して配信されたモノ(市販漫画とはそう云うモノだ)を勝手に取捨選択して得た作品だと云うのに、自分の意に沿わない展開だと作者に嫌がらせか、ドンだけお偉い御大尽なんだ?
で、上記処女性に関して云っても、日本人は古来その辺りは大らかだったが西洋思想が入った所で一般化した歴史の浅い思想に感化して…しかも創造物である架空作品の女性にまでソレを求める辺りも充分突っ込み所である
此処まで来ると『痛い』も通り越してなんと表現して良いモノやら…orz
創作者は、特にプロであるならば、常に読者を意識した作品創作をするのは当然(一部の同人の様に、自己表現がしたいだけの人は別…自己満足で創る創作が有るモノ認める)だが、全ての人間が満足する作品なぞ神でも創れないのは当然だし、そんなモノが出来たら、創作物は1つで事足りてしまう
創作に当たり、自分の個性その他の情報が出るのも当然だし、ソレが万人に受け入れられるモノでは無いのも当然の話だ…今回は原作者:武梨えりさんだったか…は、莫迦な基地外に引っ掛かったと割り切って、創作活動の再開を祈るばかりである
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コメント
松茸ちゃんが取り上げているので自分の思うところも少々。
例えばの話、「架空の女性」に対して、その処女性、神秘性を信じる人々ってのは今も昔もいるわけです。
例えば「サユリスト」、つまり吉永小百合のファンなんかはその具体的な一例だと思いますよ。
最近では話題になったほどはヒットしない映画にばかり出ている感のある吉永小百合ですけど、映画全盛期の頃の彼女の人気はわしらの想像以上のものだったそうですし、そうした状況は未だにサユリストを自称する著名人の言葉の端々からも窺い知れます。
まぁ吉永小百合自身は実在の人物ですけど、その人気は映画やブロマイドといった2次元的媒体を通じて膨れ上がった訳ですから、その意味では現在の漫画やアニメのキャラへの人気に一脈通じるものがあるのでは、と思います。
そうした2次元的媒体を通じて作られた小百合像をもってファンになったサユリストにとっては、吉永小百合は敬愛すべき偶像であり、偶像は食事はしない、排泄はしない、性交渉はしない、まで思い込んだことでしょう。
なんとなれば、それはサユリスト達の想像の範囲を超えた、想像出来ない世界だからではないか、と思うんですよ。
ただ、サユリストを含め、女優、歌手、アイドルに傾倒したファンの救いは、そうした偶像には生身の体があり、自分たちの知らない私生活の面もある、という事を心の片隅には理解する能力があったことじゃないでしょうか(あえて言うなら、それが「フィクションとノンフィクションの境目を知る」事だと思いますが)。
翻って「かんなぎ」について考えると、ヒロイン「ナギ」は全くの架空の人物であり、その来歴、思想、感情は作者に委ねられて然りなのですが、最近の漫画やアニメの傾向にある「読者の予想を裏切る展開」を作者が模索し、それが裏目に出たのが大きいのではないかと思われますよね。
しかも「裏切られた」と思ったファンの多くはサユリスト並みの盲信者だったか、「フィクションとノンフィクションの区別が出来ない奴なのか、思想扇動力に長けた人だったのか、ってところでしょうか。
もちろん、過去にも自分たちが信じたアイドルが熱愛発覚、出来ちゃった結婚などでも使用ものならヒステリックな反応をしたファンは数多くいました。
ジョン・レノンがダコタで撃ち殺されたのだって、そうしたファンの極限的なヒステリックが引き起こした事件でしょう。
現代社会においては彼らの様なヒステリックなファンが、「いつでも」「手軽に」「匿名で」凶行を行えるインターネットなんてものがあるおかげで、より巧妙かつ陰湿になってるわけですがね。
松茸ちゃんの言う様な『作品が嫌になったら、さっさとその作品を忘れて仕舞えば良い』というのは、以前の日本人の気質だったように思いますよ。
客商売なんぞをしててもそれはよく言われた事で、不誠実な経営をしている店に対しても客は文句は言わないもの、ただ無言で去るだけ、ってのが以前でしたが、昨今では何がしらかクレームをつける、それも時には理不尽と思えるようなクレームをつける客の数が増えてきており、企業のクレーム対応は頭を痛めているそうです。
そういう意味でも、日本人の気質が変わってきたのもあると思いますし、そうしたクレームを、手軽に、ダイレクトに相手に伝える手段が社会に出来てきた事もあるかと思います。
ただ、その使い方と健全な社会の在り様について、多くの人々は正しい使い方を知らずにいきなりそうした道具を与えられたって感がしなくもないですね(これは民主主義の在り様についても同じ様に思いますよ)。
結果、その使われ方がねじ曲がって今回の様な事件になってしまっているように思います。
わし自身も、作者さんについては言いたい奴は言わせておけって位に開き直って、活動再開をしていただきたいと思いますよ。
投稿: たいちょ@ちば | 2008年12月12日 (金) 14時17分
Shot>隊長
コメント感謝
サユリストですか…伝説は聞きますが、流石に私の世代ではソレを実体験で持った人間は居ないですねぇ…ちなみに、『親の世代』か? と聞かれると、私の両親はソレよりは古い世代ですから、チト微妙にズレてる気がします
なので、想像するしかないですが…やはり3D(実在の人物)と2D(架空の漫画・アニメによる創作物)では違いを感じるのは、その世代の人間だからなのでしょうねぇ…
以前、Nifty内で18禁ゲーム『同級生』及び『同級生2』のFanサイトとして発展したFDOQSEIの中でも二次創作集として作られた個人運営掲示板で、私が書いた『同級生』メインヒロイン:桜木舞の二次創作を自ら評して「私の書く舞ちゃんは『トイレに行かない』娘で…」と記した事があります
即ち『現実には居そうに無い、ある種幻想的な少女』と云う意味で使ったんですが、コレを求めると云う行為は別に否定しません
まぁ近年の例で云えば、未成年で身長の小さい事をある種『売り』にしていた『ミニモニ:加護』ちゃんが煙草を吸っていた事から始まったバッシング及びソレに伴う引退寸前まで言った騒動(私にしてみれば、自分で稼いだ金で嗜好品に手を出してるんだから、親の脛齧ってる大学生が吸うよりマシなんですが)なんかも、そう云う過剰反応を起こしてる連中の話なのかも知れませんが…
…なるほど、コレもある種『過剰なクレーマー』が起こした騒動、と云う事なのかも知れませんね
クレーマーは本当に『何でこんな事に目くじら立てるかね』と云う様な重箱の隅でも見付ければ、鬼の首でも取ったかの様に騒ぎ立てますから、目を付けられた事自体を不運と嘆くしかないのかも知れません…
本当に、作者には、早い所踏ん切りを付けて創作の再開をして戴きたい所です
投稿: 毘沙門天松茸 | 2008年12月12日 (金) 15時20分